追悼・荒木伸吾氏 デジタル化の功罪
2011.12.3

今年3本目にして、あるいは今年最後かもしれない当コラム。とうとう追悼関係の内容しか書いていません。それにしても、4月の出崎統氏につづき、アニメ業界においてはとてつもない損失としか……。

わたしにとっての「荒木伸吾」は「聖闘士星矢(セイント・セイヤ)」です。姫野美智女史とのコンビで一世を風靡した「星矢」、これがイチバン大きい。原作(車田正美氏)がもともと美形キャラだらけで、それをさらに洗練した立ち姿などはバランスの極致と言えます。逆にアクション部分では極端なパースのアングルや「荒木走り」のような独特のポージングが場を盛り上げる起爆剤として大いに効果的でした。

その「星矢」、テレビアニメ版は「海皇ポセイドン篇」までしか描かれず、原作のハイライトでもある「冥王ハーデス篇」は当時ファンの間で映像化を望む声が相当に高かったと記憶しています(一度は企画されましたが……)。

「ハーデス篇」が正式にOVA化されるのは2002年になってから。「ポセイドン篇」地上波最終回が1989年ですから実に13年の時を経て(世紀すら跨いで)の映像化です。旧作のファンにとっては、(ほぼ)オリジナルスタッフ、(メインは)オリジナルキャストでの再出発に涙が出る思いだったにちがいありません。わたし自身、荒木屋の職人技と最新の技術とが融合した新しい「星矢」には大いに期待しました。

そしていよいよ初見の時……。さすがにデジタル作画、彩度が高くエフェクトも違和感の少ない仕上がり。オリジナルキャスト陣も年齢を感じさせない迫力の演技。旧作を彷彿させる内容に概ね満足でした。

しかし、だがしかし、画面があまりに奇麗すぎる。かつて荒木氏が携わった「ベルサイユのばら」や「あしたのジョー」を観てきたわたしにとって、新しい「星矢」はどこか物足りなかったのです。それはデジタル処理によって整いすぎた線のせいでした。セルアニメの時代はダーマトグラフ(グリースペンシル)の恩恵か、線にマチエールを感じ、勢いや荒々しさを感じたものです。アナログ時代の「星矢」であったものが、デジタル「星矢」では失われてしまった……。


アナログからデジタルへ、鉛筆からマウスへ、時代の変化に伴う技術の進歩を受け容れず、過去を美化して取り合わないのは、とても愚かしい行為と言えるでしょう。限られた制作費、限られた人材、限られた時間のなかでどうにかやりくりし、良質な作品を生み出そうとする姿勢はとても好ましく、賞讃に値します。それでも。

出崎氏への追悼をした際は、後進への期待を込めましたが、今回ばかりは「荒木の前に荒木なし、荒木の後に荒木なし」です。


荒木さん、逝くのが早すぎるよ……。