ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝と妻・リタの半生を描く「マッサン」、NHK連続テレビ小説・後期(10〜翌年3月)作品としていよいよはじまりました。ここ数年のいわゆる「朝ドラブーム」の流れのなかでは、主人公が男性でヒロインが外国人であるという点から、視聴率面での苦戦は必至と思っていたものの、なかなかどうして、好調をキープしているようです(第5週終了時点)。銘柄によっては、ニッカのウイスキーが品薄状態になるなど、ドラマ人気が巷の酒屋さんにまで影響しているとか。
小生、ウイスキー大好き人間でして、特にスコッチ(アイラのピーティーなボトル)は20代前半に傾倒した思い出があります。それでも、当時「国産ウイスキー」という冠ではサン○リーさんのほうに認知があり、竹鶴夫妻との関わりやその壮絶な人生についてのそれは薄かったと言わざるを得ません。そもそも酒、しかも洋酒に関連する人物ですから、よもや小学校の図書室で「日本の偉人100人」などと同列に伝記を並べるわけにもいかないでしょうし……。知名度の面では、他の偉人たちとは比ぶべくもなく、ただの呑兵衛(小生含む)には言わずもがな。本ドラマが、そういった意味で果たす役割は大きく、期待を込めて筆を走らせたいと思います。
さて、本コラムを書いている10月末現在、世間様では「ハロウィーン」の話題が尽きません。11月に入れば、今度はブドウジュース解禁の報が流れることでしょう。日本人は元旦に神社へ初詣に赴き、結婚式を教会で挙げ、葬儀をお寺に依頼するとても風変わりな民族です(あくまで一例として)。古来の風習に加え、チョコレートで愛情表現をしたり、ツリーを飾ってケーキを食べたりもします。それ自体を否定するつもりはさらさらありません。ただ、異国の文化をどのように自分たちの生活へ受け容れるのか、その過程と経過において、大きなズレから生まれる違和感を覚えずにはいられないのです。
本作の主人公・「マッサン」こと亀山政春は広島県の造り酒屋の次男坊という設定です。長男が家業を継がなかったこともあり、自ずと彼が跡取りとなるはずでした。しかしながら、はじめて呑んだウイスキーの味に感動し、洋酒造りに目覚めます。蔵元の跡目が洋酒造りに心酔するとは、何とも皮肉な話ですね。折しも第一次世界大戦終結直後という動乱の時代、遠い異国の地に単身赴き奮闘する姿はとても情熱的で頼もしく映ります。一方見も知らぬ東洋の島国からやって来た青年を、スコットランドのひとびとはどう見たでしょう。自国の文化を掠め取りにやって来た野蛮人、などと思っていたかもしれません。そんな孤独な状況から、最終的には伴侶となるエリーを得るまで、努力に努力を重ねたマッサンの姿は想像に難くありません。もうひとりの主人公であるエリーが日本にやって来てからこれまで遭遇した困難(差別など)は、その対比として見ることができます。
自国の文化を誇りに思い大切にする。その精神はどの国のどの民族であっても共通しているものと考えます。そのひとのアイデンティティを形成する一部となるのですから当然です。であればこそ、他国の文化に触れ、それを得ようとする姿勢には、一定の心遣いがあってしかるべきと思うのです。
「ハロウィーン」は本来その年の収穫への感謝と家族の健康を願う行事です。子供の健やかさを祝う意味で、仮装をさせ近所を練り歩くという程度のオマケなら合点がゆきます。小賢しい大人がビジネスをするための、ア○な大人がバ○騒ぎするための大義名分には到底なり得ません。いかにも手軽な娯楽に踊らされている大人たちの様子を目の当たりにすると、何とも淋しい気持ちになります。
日本酒の蔵元に生まれながらウイスキー造りに取り組むマッサンの姿は、日本人からすれば異国の文化に惚けた裏切りものと映っても仕方ありません。それでもスコットランドに赴き、現地のひとびとに受け容れられ、心血を注いで得た技術と魂(スピリッツ)でもって異なる文化を日本中に知らしめる存在となります(現時点ではただの辛気臭い顔のアンチャンですが)。劇中、株主説得のために一席を設けた際、西洋では蒸留酒をスピリッツと呼ぶ ことを引き合いに出します。また、西洋の蒸留酒の呼び名はその多くが「生命の水」を意味する言葉(アクア・ヴィテやジーズナヤ・ヴァダ、ウシュク・ベーハーなど)を語源とします。単純な情熱だけでなく、異国の文化に対する深い敬意があってこそ、魂と魂の交歓が可能となるのです。そうしてはじめて、その文化を自身のものとして獲得できるような気がします。
ジャパニーズ・ウイスキーはとても美味しいです。万人に好まれる味わいは日本人の嗜好にとてもマッチしています。それだけでなく、海外の品評会で数々の賞を受けていることから、本場のひとびとの評価が高いのも事実です。異国の文化を吸収し、日本の持つエッセンスを巧みに活かして昇華させる、日本人のとてもステキな民族性がもたらした結果と言えるでしょう。
まだまだ、マッサンとエリーの進む先には多くの困難が待ち受けているはずです。それでも、持ち前のガッツと明るさで必ず克服してくれるでしょう。そしてマッサンの破天荒なドラマを楽しみつつも、われわれ日本人のアイデンティティとは何なのか、異国人のエリーを通しつつ、少しでも感じることができればと思います。