今回は音楽のレビューです。それも「ZABADAK(ザバダック)」だなんて、あまりに知名度低いですかね? メジャーデビューが1980年代半ばですから、かれこれ30年近く活動してきたことになります。詳細についてはネット検索でもかけていただければ出てくると思いますのでここでは割愛します(いいかげん)。以降、ご存知ない方にはいささか不親切な内容となるかもしれませんが、どうかご容赦ください。また、筆者は音楽的な専門知識の欠片も、繊細な音を聴き分ける「耳」も持ち合わせていません。その点を指摘されても応答いたしかねます。
今回発売された新譜「夏秋冬春 -Лето Jесен Зима Пролеhе-」は4曲入のフルインストゥルメンタルアルバムです(ちなみにタイトルはセルビア語で「レト・イェセン・ジーマ・プロレチェ」と読むそうです)。6月15日のライブか、公式サイトの通販で購入できるということで、地方在住のわたしは後者を選択しました。インストのみのアルバムは遡ること1992年の「十二月の午後、河原で僕は夏の風景を思い出していた。」から約20年ぶり。それも完全オリジナルとなるとはじめてということになります。
ざっくり「プログレッシヴ・ロック」のスタイルに属するので、これまでに発表された多くのアルバムには、当然のごとくインスト曲が含まれていました。それでも今回はアルバム一枚に総時間約45分みっちりインストですから、初期のマイク・オールドフィールドを思い起こさせ、嫌でも期待の高まる構成です。そしてそれに違わぬ音の波に、全身どっぷり脳みその奥まで包まれることとなりました。
夏--冒頭、叩きつけるようなエレキギターとベース、ドラムの応酬は、あの肌を突き刺すような日射しかあるいは気まぐれなお天道様の唐突なスコールを連想させます。序盤、スネアを背景に梅雨時の鬱々とした、不安な心理状態へ。中盤、しかしそんな状況も一変、エレキの響きなのにとても牧歌的で、黒々とした雨雲が晴れ、明るい日射しが戻ったように感じられます。何より吉良友彦氏によるスキャットが、よりこの明るい広がりを確実なものへと変えてくれます。厚い雲をかき分け、ようやくひと筋の光明を見いだしたかと思えば一転、ふたたび冒頭の音の波状攻撃。しかしながら、「夏」の持つ荒々しさ、光と影のメリハリ、そういった要素を十二分に感じさせてくれる内容です。
秋--オルガンの静かな音色からはじまります。循環メロディーはお手の物、少しずつさまざまな音が重なってゆき、厚みを増します。2巡目から吉良氏のスキャットが、さらにドラム関係が加わることで、秋口の夕刻に吹く少し冷たく重い風が吹いてくるように感じます。そうして延々と循環してゆくかと思われた直後、中盤の少し手前、アコーディオンが主役の少しテンポアップした循環がはじまります。ここでの掛け合いは、散り急ぐ紅葉のシャワーのなかを寂寥感に包まれながら歩いて行くような錯覚に襲われます。中盤過ぎ、ピアノの伴奏に少し伸びやかなアコーディオンの音色と穏やかなスネア。最後に一旦盛り上がりを見せ、シンセとマリンバ(グロッケンシュピール?)で星明かりのような神秘的な明るさを表現します。しかしやはりスチールギターの音色はここではどこか物悲しい。吉良氏のスキャットも、前章に比べ去りゆくものを惜しむような雰囲気に聞こえます。「秋」とはそういう季節と言うことでしょうか。
冬--マリンバの弾む音、シンセの静かで、マラカスがリズムを取り、川端康成の「雪国」の冒頭を思わせるようなにトンネルを抜けた瞬間、イリアンパイプス(オルガン?)とスチールギターが重なって最後にティン。小峰公子女史の唄声は白い丘陵を走る冷たい風のようであり、リズムを取る楽器の数々はしんしんと降り注ぐ雪花の舞い。重厚なエレキギターとパーカッションにヴォイスパーカッションが見た目とは裏腹の雪の重さと冷たさを表現しているかのようです。そして中盤、溜めに溜めにためたところでひとを喰ったように響くグロッケンシュピール(鉄琴)。少しジャジーな感じも、弾き手が聴き手を巻き込むような、身勝手さで楽しい。かと思って油断すると、今度はパイプオルガンの荘厳な伴奏にエレキギターの重々しさが加わって、白さに飲み込まれながら暗闇に落ちるような不安感。そう「冬」は忍ぶ季節。けっしてはしゃいではいけない。来るべき季節の到来まで畏れを失うなと語りかけているかのようです。
春--待ち侘びた季節。冒頭はそう、「桜」のメロディー。日本人にとって、これほど象徴的な対象は存在しません。その後を受けては「Poland」。リコーダーが主役を張るインストなんて、そうそうありません。まるで本歌取りのようなうれしい遣り取り。長らくzabadakを聴きつづけた人間にしてみれば、うれしいことずくめです。そうして中盤を過ぎ、散り際を惜しむような旋律の後、宴は唐突に終わります。うねるようなエレキギターの旋律、これは……。恐らく賛否両論あるとは思いますが、わたしは素直に、「マイク・オールドフィールド愛」、「Tublarbells愛」だと考えます。最後を和製牧歌的に納めているのもそういった背景あってこそかと。
音楽でお腹いっぱいになるのはほんとうに久しぶりです。さらに、このアルバムの性質の悪さはリピート中毒になること。当然です。「春」の後には「夏」が来てその次は「秋」、そして「冬」また「春」……。何度聴き返しても飽きることがない。
もうひとつ、吉良氏の音楽を他人に表現するとき、わたしはよく「懐古的」と言います。「牧歌的」という表現は西洋的に過ぎるので。近しい表現を用いれば「侘び寂び」の世界でしょうか(近しいか?)。
すごく懐かしく、少し哀しい。自分のなかの原風景を思い出させてくれるような。ZABADAK(吉良知彦氏)の紡ぎ出す音楽は、そんな魅力にあふれていると思います。