いまや「おじさんたちの月9」と呼ばれるほど人気者(?)の酒場詩人、吉田類(よしだ・るい)氏が東京近郊の酒場を巡り、好き勝手に呑んで語るというのがこの番組のコンセプト。足の先から帽子まで黒一色、サングラスに無精ヒゲの見るからに怪しげな風貌で、はたしてこんなオッサンがメインで番組が成立するのか? と不安にさせられること請けあいです。
曰く「恥じらいは人類の特権」。人間が文明的でいつづけられるのは、「恥」を知るからこそ。自らを律し、社会に貢献し、整然と生を全うすること。

ところがどっこい、酒場放浪記での予定調和は見事な逆転現象、以下のごとくです。白身の刺身を醤油で真っ黒にしたり、ワサビや辛子をつけすぎて涙目になったり、猫舌のくせに熱いものをたくさん頬ばって悶絶。かと思えば若い女性にロックオンしてご相伴に与ったり、知ったか満開で店主やご常連さんを失笑に追い込むなどなど。
ご本人は高知の山間から上京し、若くしてフランスへ渡って画家を目指した身の上。帰国後はライターをしながら俳句の同好会を主催するぐらいですから(番組内の最後は氏の句で〆られます)、文化人には違いありません。したがって内包する教養はそれは確かなはずなのですが、如何せん表には出てこない。何でも切れる銘品包丁で豆腐を切るような使いどころの悪さ、あるいはそれを狙ってやっているのだとしたら……。
「旅の恥はかき捨て」転じて「酒の恥はかき捨て」なんですね、吉田さん。われわれ人類は文明人として生きてゆくために「恥」を避けようとします。しかしそれが時として「恥」を恐れることに繋がりかねません。言い換えれば「恥」をかかない代わりに「成長」する機会も失いかねないのです。画面の向こうの吉田類は、たしかに「ダメダメな大人」の見本のような存在かもしれません。それでも氏を反面教師としながら、時には「恥」をかくことを恐れない、ほんの少しの勇気を分けてもらっていると思えば、とても愛おしい対象に映らないでしょうか。
「チリも積もれば山となる」、「○○の一念、岩をも通す」。10年に渡り、「恥」に「恥」を重ねつづけた結果、実に味わい深いマチエールが生じ、それが吉田類の魅力となった。この先15年・20年とさらに上塗りをしつづけられるか、われわれ支持者はそれを見届ける義務を負っているのです(大げさ)。