深夜食堂 50年後のおふくろの味を思う
2014.5.8

繁華街の裏路地にひっそりと佇み、夜な夜なワケありの客をメニューにない料理でもてなす。本ドラマは「めしや」のマスターとそこを訪れる客との交歓を情緒たっぷりに描いた作品です。個人的にジャパニーズ・フォークは好きではないのですが、このドラマの雰囲気にはピッタリ過ぎるぐらい合っていました(あがた森魚が出演したときはオッと思いましたけど)。このGW期間中CSで偶然、一挙放送をしているのを見かけて(本放映は2009・11年、TBS系列)、すぐにその魅力に取り憑かれました。

「深夜食堂」というタイトルから、供される料理を通して登場人物の背景をクローズアップしてゆく手法を取っており、和洋中を問わず「猫まんま」のような料理未満の品まで多岐に渡ります。その冒頭第一話では、甘く味付けされた卵焼きと赤いタコさんウインナーを中心に話が展開します。オカマとヤクザ、というだけで特殊な事情がないわけがない、そう思いつつ見進めると、結局ふたりをつなげる要素のひとつで、卵焼きとウインナーそのものについて語られることはありませんでした。それでも、オカマの小寿々(こすず・綾田俊樹)とヤクザの竜(りゅう・松重豊)のつかず離れずな空気が見ていてとても心地よかったです。


深夜食堂

さて、ここで質問です。赤いウインナーに郷愁を覚えるのは何歳世代まででしょうか。アラフォーのわたしは充分範囲内です。調べてみるとごく普通に店頭に並んでいるようなので、需要があるのはたしかなのでしょう。けれどもノスタルジーというほどの想いがあるかどうかは別です。「おふくろの味」と書けば、すぐさま「マザコン男子」とかジェンダー・フリーの方々から非難が挙がってきそうですが、要はある一品を通した大切な「思い出」であって、赤いウインナーはそのきっかけでしかありません。よく昔の音楽を聴いて涙を流すのは、当時の記憶が呼び戻されるせいだと言われます。それと大差ないはずです。

「深夜食堂」の劇中においても、自分にとって大切な一品をマスターに頼んで作ってもらいます。それを食べることで、楽しい時間を思い出したり、哀しいときには前に進む勇気をもらったり、親兄弟・友人との絆を再確認したりと、登場人物の機微が描かれるのです。マスターの人柄、店の雰囲気、常連客との会話などが個々のエピソードに適度な調味料となり、味わいを深めます。良くも悪くも、そこには「昭和」の匂いが漂うのです。


「マスター、マ○ドのハンバーガー。ピクルス抜きで」

「……あいよ」


「はい、お待ち。マク○のハンバーガー。ポテトはオマケだ」

「これこれ、この薄いパテとパサパサのバンズが……」

「…………」


50年後、もし「深夜食堂」が存在していて、そこを訪れる客とマスターの会話がこんな感じだったらどう思われますか。単に懐古趣味と言われるだけかもしれませんが、大切な「思い出」を詰めるなら、薄っぺらい紙一枚でなく、ちゃんとしたお椀にしたいところです。