「万事休す」とは中国の史書に出典を求める言葉で、王子を甘やかした王と国に対する民の嘆きだそうです。エリーはアメとムチを使い分けて、上手にマッサンを御しているように映りますが……。今週はとにかく頭を下げる場面の多い王様でした(笑)。
宿命のライバル(死後)・鴨井(堤真一)の愛息・英一郎(浅香航大)の急死に、ウイスキー造りを再開する決意を固めたマッサン(玉山鉄二)。それは大阪の出資者を欺いてまで、増資を取りつけるという危険な賭けでした。
さて、前回の反省を踏まえて、今回はあらすじを端折って参ります。
1.マッサン、北海道・余市で新たにウイスキーを造るも踏ん切り着かずに悩む。
2.家族の激励と謎の物書き・上杉(北大路欣也)のひと言で決心。
3.出資者にウソをばらして平謝り。も、販売はOK。
4.「ドウカウイスキー」売れず、また悩むマッサン。鴨居(堤真一)の言葉が重く響く。
5.出資者から経営方針の転換と人員削減を求められる。またまた頭を抱えるマッサン。
5.突然の住吉社長(西川きよし)の来道。「答、出とるやないかい」で人員削減。
6.戦争の影響で在庫をすべて海軍がお買い上げ。おまけに指定工場となる。
話は二転三転したものの、規模を縮小することなく、経営を維持できる状態となった余市工場です。マッサンはやるせなさと安堵の入り混じった表情で、エリーと抱き合います。戦争という「負」の要因によって生きながらえたドウカウイスキーですが、エリーにとっては祖国・スコットランドと現住地・日本が血みどろの争いをするという最悪の事態です。貯蔵庫を去る海軍兵の、彼女に向けられた視線が示すとおり、次週は戦争とそれに翻弄される亀山夫妻が中心となることでしょう。
と、あらすじなぞりはここまで。
鴨居商店時代に製造した「鴨居ウイスキー」にはじまり、マッサンの基本方針は本場スコットランドの名スコッチ「ハイランドケルト」を越えるジャパニーズウイスキーを生み出すこと一点に尽きます。その目標である「ハイランドケルト」のモデルと思われるのが「ハイランド・パーク」で(あくまで推測)、製造される蒸留所はスコットランド最北のオークニー島にあり、豊かな薫香とシェリー樽の香り・甘さを含んだフルボディタイプのシングルモルトです。恥ずかしながら、小生このボトルを呑んだことはないので、まったく本の受け売りですが、フェイマスグラウス(ブレンデッド)のキーモルトのようなので、口にしていることにちがいはない、と言い訳をしてみたりします。
で、劇中でよく感想として述べられている「煙くさい」という表現。スコッチの特徴のひとつである、麦芽乾燥を促す際に使用するピート(泥炭)が原因です。スコッチが造られはじめた当時(記録上は15世紀ごろ)の燃料事情や、スコットランドが広大なヒースの大地(これは劇中で何度も登場)を有していたことから、ピートを使用することは必然だったのかもしれません。しかし、スコッチの定義ではピートの使用を義務づける項目は存在しないのです。
かつてはフロアモルティングで人手と手間をかけ、燃焼効率の悪いピートを燃料として使わざるを得ない状況がありました。それも現在では大資本による機械化、効率及び非個性を目指したノンピート製法が増えてきています(もちろん本場スコットランドでの話)。そうしてピート香の薄い、あるいは無い、ライトボディのスコッチが世界中に流通している事実があります。
元来、素材の持ち味を活かし、引き算式の料理を好む日本人の嗜好に、ハイランド・パークのような重厚で複雑な味のウイスキーが合致しないのは当然なのかもしれません。日本酒にしても料理との相性(特に懐石料理)から辛口清冽なものが好まれる傾向にあり、ドライビール市場の躍進を加えると、日本においてアルコールはライトボディがマジョリティ、となってしまうのは致し方かなく……(もちろん、米の旨味を存分に味わえる「どぶろく」や地ビール・エールなどの根強い人気もあります)。
現実の日本で受け容れられたのは、劇中登場の鴨居商店「丸瓶」モデルのサントリー「角瓶」やメインモデル・ニッカウヰスキーの「ブラックニッカ」という、ともにブレンデッド・ウイスキー。シングルモルトとしてのジャパニーズ・ウイスキーは、21世紀に入ってようやく、世界的評価を得るという皮肉な状況です。それも前述したように、あまりピーティーでないライトボディのスコッチが好まれる背景があってこそですから、何とも複雑でなりません。
翻って、マッサンはなぜ、そこまで本場らしいジャパニーズ・ウイスキーにこだわったのか。「寄らば大樹の陰」志向が強く、一方でクラフトを愛する日本人。封建社会に長く支配されていても、コツコツとひとつのことを積み重ねる努力を怠らない民族。矛盾をはらみながら、そんな日本人だからこそ、マッサンは「ウイスキー」という代物を受け容れてくれると信じたのではないかと思います。
18世紀初頭、連合王国となったスコットランドはイギリスからとても重い酒税を課せられます。蒸留者たちは山奥に蒸留所を構え、できあがったスコッチ(無色透明)をシェリー樽などに隠して貯蔵することで徴税者の目を欺いたのですが、そのおかげで香り豊かで味わい深い琥珀色の液体を手にしました。言わば圧政に対する反骨心と知恵の結集、偶然と幸運の女神がもたらした賜物です(大島紬も泥のなかに隠したことで深い染め色を見出したと言われますね)。
生まれて初めて本場のスコッチを口にしたマッサンが、その驚きと感動の向こうに、それを生み出す大地と関わるひとびとを見たことは想像に難くありません。はるばる海を渡り、ヒースの大地を目の当たりにし、ポット・スチルに触れ、現地の職人たちと汗を流すことで、心に浮かんだ映像がより確かなものとなったことでしょう。そしてスコットランド人の持つ、自分が信じたものを貫き通し、どのような圧力・困難にも決して折れることのない強靱な意志の力に、日本人としてシンパシーを得たのではないかと思います。
その象徴として思い出されるのが、第8週で広島の実家に夫婦で一時帰省していた際、エリーが、耳にした「もと摺り唄」をとても気に入ったシーン。恐らく逆のことが、スコットランド修業時代のマッサンの身にも起こっていたと推察されます。
日本人とスコットランド人はどこか似ている。だからこそ、「ウイスキー」を通して互いの国の文化を、民族性を認め合うことができる。そのうえで、日本人の魂(スピリッツ)が詰まった「ウイスキー」を造ることができるはず。もしかして、マッサン自身が生きているあいだにそれが成就しないとしても、いま仕込んだ原酒が長い時間をかけて熟成するように、ウイスキー造りの魂を引き継いだ日本人がいつか成し遂げてくれるだろう、と。
現実世界では、マッサンのモデルである竹鶴政孝氏や他の御歴々の尽力によって、100年かからずに「ウイスキー」という代物が、日本人に浸透して来ています。ピーティーなフルボディタイプのスコッチを好む少数派もおり、はばかりながら小生も末席に座らせていただいておる次第であります。
「ウイスキー(ブラウン・スピリッツ)」には、手間暇をかけたからこその浪漫(ろうまん)があり、前述した密造酒時代の歴史もまるっと含めて人間の感性を豊かにしてくれる存在です。小説や音楽同様に、訪れたことのない土地や見たこともない世界へ誘ってくれます。運が良ければ、30・50年ものといった自分が生まれる以前、または同じだけの年月を重ねたボトルに出逢う可能性もあります。
世界の趨勢はライトボディ、日本人の趣向はスッキリサッパリ。マッサンの劇中は世界大戦の真っ只中で選択の余地などない状況ですが、いま現在わたしたちの生活する国は辛うじて平和であり、呑み手に選ぶ権利が与えられています。この機会に、フルボディのスピリッツを呑んで、異国の地へ浪漫飛行と洒落こみませんか?