マッサン 旧き友人と善き一杯のために
2015.3.7

理不尽を受け容れることが大人の証、という意味で、エマはまだまだお子様ということでしょうか。軍からの使者を迎え、赤紙を手にした一馬を囲み諸手を挙げる男衆とはまるで異なる空気の女性陣でした。

「マッサン」第22週は、「ホンネとタテマエ」の使い分け……ではなく、森野父子のミニマムな心象にスポットが当てられました。


第二次世界戦争も末期、ラジオから流れ新聞を賑わす文字はどれも「大日本帝国軍大勝利」の朗報のみ。厳格な情報統制のもと、逆に言えば一色単の盤面が違和感をいや増す材料であり、それでも大多数の正義が大手を振ってまかり通っていた時期でした。

戦地での無事を祈って、千人の女性に結び目を縫い付けてもらう「千人針」の風習。強い獣のイメージから、特に「寅」年の女性は自分の年齢だけ縫うことが許されたそうです。針はその形状から邪気を払うと言われ(一寸法師の武器であったり、東北地方の民話で大蛇を倒す道具として)、赤い糸は同じく魔除けの効果と縫い付ける人間の魂を強く留める意図が、「千」という数字は「千羽鶴」同様に多くのひとが関わることでかかる力を増幅する効果がある、と。「戦勝祈願」などではなく、あくまで身につけるものの「安全」を願ってのお守りであり、「祈り」の結集物です。しかしながら、劇中でハナや俊夫がエリーにお願いすることを逡巡したように、相対する兵士にとってはそれが「呪い」となってしまいます。「願い」や「祈り」といったひとの前向きな、他者を思いやる正のベクトルを一転させてしまう「戦争」という行為は、やはり愚かとしか言いようがありません。


戦争が本格化して以降、一馬の出征の朝ギリギリまで、熊さんの態度は一貫して「勝利至上」の精神でした。息子の決心が揺らぐことを案じてというのはもちろん、幕末から明治維新にかけて会津藩が受けた仕打ちから、「勝てば官軍」という極論に至るのはやむを得ないのかもしれません(小生、生まれた土地がが長州藩のお隣なので熊さんに好かれることはないかも)。エマが口にした「正しいかどうか」という議論は「戦争」を前にして意味を持たず、その理不尽さを受け容れているからこそ、熊さんは大日本帝国が勝つことを望み、一馬を諭しつづけました。

一方でマッサンは、出征まで3日というあまりに短い期間ながら、彼にブレンダーとしてのイロハを伝授しようとします。かつて大阪で苦楽をともにし、言わば大阪の息子であった鴨居英一郎は志半ばで夭折。父親の鴨居が漏らした「最大の親不孝」が、再度引き起こされるかもしれない。それでも、一馬を自身の後継者にという想いは強く、また彼に少しでも希望を持ってほしいという一心からの行動です。出征前日、自分がウイスキー用にと品種改良した麦の種を手放そうとする一馬に怒号を浴びせる姿には、英一郎に対する悔恨が少なからずあったように映ります(「一番弟子」が一馬というのは、英一郎にとってはショックだったかもしれませんが)。

そしてハナと結婚し、一馬の義理の兄となった俊夫もまた、彼に生きて帰るよう強要します。憎まれ口を叩く生意気な義弟であると同時に、同じ環境で成長を見守ってきた立場から、俊夫にとっても一馬は息子のような存在だったのかもしれません。

そんな、不器用な男どもを冷視し、同性でありながら平然と振る舞うエリーやハナへの反発を強めるエマ。両親の影響を強く受け、西欧的な、ロジカルにものごとを考える術を身につけているばかりに、一馬に対する一途な想いとの二律背反にさらされることとなります。理屈でわかっていても、現実を受け止めることが怖くてできない。でもそれは、実は一馬本人が痛感していることで、自分と一緒に逃げてほしいと願った直後、彼自身の口からたしなめられたことが、皮肉にもエマの心を決めてしまったようです。


「たとえ、明日世界が滅びるとしても、わたしはリンゴの木を植えるだろう」


千人針を結び、笑顔とともにお守りを送ったエマの表情は、残酷な大人の階段を登りつつも、彼女を取り巻くひとびとがそうであるように、多くの希望を含んだものでした。

「蛍の光」は別れを惜しむ唄。「オールド・ラング・ザイン」は再会をよろこぶ唄。歌詞はまるで正反対の意味を持ち、敵性語排斥の情勢で後者を歌うのは御法度のなか、熊さんはあえて再会を願い、歌いました。口下手で頑固者の会津男なりの、気持ちを伝える演出です。それは出征の朝、手ずから一馬の髪を整える熊虎の、父親としての真情の吐露に繋がります。

最後に笑顔で「往って参ります」と口にする一馬に、みな「いってらっしゃい」とさわやかに見送るシーンがありましたが、大阪での生活経験のある亀山一家は「いってかえり」でもよかったように思います。京都弁の「お早うお帰りやす」と同じように、必ず家へ戻ってくることを前提とした送り出し方をしてもよかったのではないか、と。


いま少し、戦争描写はつづくようですね。史実をもとにしているいじょう、避けられないこととはいえ、画面が暗く重くなるのはやはり辛いです。ウイスキー造りという大命題にもなかなか触れられず、堅忍の時間を耐えねばなりません。

マッサンのように10年20年先を見越してブレンドに励み、俊夫のように頑固でも根気強く仕事をする職人が支え、一馬のように良質なウイスキーを造るための麦の種を残してくれたからこそ、今日(こんにち)われわれは美味い一杯を口にすることが出来ます。それこそ、「オールド・ラング・ザイン」の歌詞に倣って、見たこともない彼ら旧い友人と杯を酌み交わしているようなものなのかもしれませんね。