スコッチ好きであったことをきっかけに、やがて世界で賞讃される国産ウイスキー誕生の物語とあって、大きな期待を抱きつつ拝見した「マッサン」。男性主人公の活躍をメインに、彼を支えるヒロインが外国人という、朝ドラはじまって以来の特異な設定に放送前から賛否が飛び交い、もちろん不安もありました。また、放送がはじまって以降、主人公のあまりのダメっぷりからイライラが募り、報道されたような視聴率の低下もやむなし、と勝手に三行半を突き付けかけたこともありました。
けれども、いまこうして、すべてのお話を見終えてからは、些細なきっかけとはいえ、ほんとうに最後まで拝見してよかったと思っています。
シベリア抑留より生還した悟(泉澤祐希)との衝突を経て三級酒の製造に取り組み、その成果からさらに一級酒「スーパー・ドウカ」の販売をはじめ、ドウカウイスキーは飛ぶ鳥を落とす勢い。余市を有名にした名士として、マッサン(玉山鉄二)が地元のラヂオ出演を果たすその一方で、俊夫(八嶋智人)の表情はどこか曇りがちでした。賢妻・ハナ(小池栄子)が夫の様子に気づかぬはずもなく、ほどなくふたりは揃って、マッサンとエリー(シャーロット・K・フォックス)のもとへ向かいます。悟が亀山家の養子となったため、実家のある広島の酒蔵が後継者不足となってしまったことを気に病んでの行動です。はじめは戸惑いを隠せなかったマッサンたちでしたが、俊夫とハナの決意を目の当たりにして、気持ちよくふたりを送り出すこととします。そのうえ、ふたりに会津の街を見せると熊さん(風間杜夫)まで余市を離れることに。今生の別れの予感を漂わせながら、皆の表情は笑顔にあふれていました。
刻は流れても、数々の成功に満足することなく、相変わらずよりよいウイスキー造りを目指すマッサンと、彼を陰に日向に支える良妻・エリーの姿に変わりはありません。そんなとき、イギリスで仕事をしていたエマ(木南春夏)が突然の帰国を果たしました。再会をよろこびあう親子ですが、それを見つめる別の視線が。イギリスで出逢った男性・マイク(中島トニー)がエマに伴われて日本にやって来ていたのです。
マイクを人生のパートナーと呼ぶエマに、マッサンは父親として相応の反応を、エリーは好意的にふたりを応援すると意思表示します。そして、いままさに人生の岐路に立つふたりは、決断の参考にとマッサンとエリーのたどってきた半生を話して聞かせてほしいと願うのです。しかしながら、少なくともエリーの人生は、その終わりのときを間近に控えていました。
雪残る自宅へ戻ってきたマッサンの手には、新たな工場の図面が握られていました。年老いても無邪気な様子を娘に茶化されつつ、エマからエリーの不在を告げられると、居ても立っても居られなくなるマッサン。その杞憂は、橋の上から目にしたエリーの、どこか穏やか過ぎる立ち姿によって確信に近づき、さらにエリーの主治医である川上(天海祐希)から事実を引き出すことで、確証となってしまうのでした。
エマとマイクとともに迎えた朝食の席で、マッサンは唐突にエリーとの結婚式を提案します。若いふたりは素直によろこびますが、エリーはすこし気後れした様子です。とはいえ、まだエマとマイクの仲を認めたわけではないとするマッサンの姿はいつもどおり。その後、マイクとふたりきりの時間を過ごすこととなったエリーは、彼に自分たち夫婦が常に心に持っていたことを伝え、彼の背中を押してやります。直後、エリーは三度倒れてしまいます。
状態が落ち着いたことでエリーハウスを跡にする川上。しかし、その口からは残された時間を悔いなく過ごせという、残酷な言葉が発せられます。やるせない気持ちを抱えながらエリーを囲むひとびと。ウエディングドレスが完成し、回復を願う言葉が飛び交うなかで、エリーはマッサンと散歩に出かけたいと言い出します。いまのエリーの状態では、とても承伏できかねる提案でしたが、彼女の気持ちは変わりません。そうして、白銀に覆われた余市工場の敷地をゆっくりと歩むふたり。そんな仲睦まじい夫婦の姿を目の当たりにして決心したのか、マイクからエマへのプロポーズがされます。よろこびに湧くエマでしたが、駆け寄る彼女の目の前で、エリーは力なく崩れ落ちてしまいます。
最期の刻は近づいていました。エリーは残された時間をマッサンとふたりきりで過ごすことを望みます。寄り添い、昔の写真を眺めながら、これまでふたりの歩んできた道のりを回顧するふたり。最後は笑顔で見送ってほしいと願うエリーの手を握り、マッサンは力強く言うのです。かつて、スコットランドを離れ日本でウイスキー造りに取り組むことを決めた際、エリーに告げたひと言を。
エリーがこの世を去り、丸2日に渡ってふさぎ込んだままのマッサン。ですが死の間際に彼女から渡されたラブレターを読み、ふたたび立ち上がる気力を得ます。
それから10年、愛する妻・エリーの名を冠したウイスキーが、ついに世界的な評価を得ることとなります。英国大使も参加する華やかな式典が行われた後、マッサンの姿はエリーの墓標の傍にありました。ともに歩み、半世紀の時間をかけてようやくたどり着いた、理想のウイスキー「スーパー・エリー」をふたつの杯に注ぎ、感謝の言葉をつぶやくマッサン。ふたりを結びつけた指ぬきと六ペンス銀貨を供えると、穏やかな陽光のもと、一陣の風に乗って、エリーの呼ぶ声と鈴の音がマッサンの耳に響き渡るのでした。
「人生は冒険旅行」
最終週のサブタイトルであり、全篇を通じて本作の根幹を成していた言葉です。
第一次世界大戦後まもなく、ウイスキーの技術を学びに遠く日本からやって来た青年・亀山政春。そして戦争により婚約者を喪い心に傷を負った、現地スコットランドの女性・エリー。ふとした縁から出逢ったふたりは、やがて固い絆で結ばれ、日本で美味いウイスキーを造るという政春の夢を追って旅立ちます。
モデルとなったのは、いまや押しも押されぬ日本のウイスキー・メーカーとなったニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝氏とリタさんの夫婦。史実をもとにし、日本で異国の文化を花開かせようとした男と、見も知らぬ異国の地で文化の違いや差別の壁にぶつかりながらも奮闘する女性の半生を描いた作品です。
サクセス・ストーリーと書けば、それはドラマというフィクションの世界なので当然といえば当然かもしれません。そして現実世界では同じような「夢」を追いながら、成功するものがいる一方で、志半ばに倒れるものもいます。比率でいえば、大半の後者の骸の上に、一握の前者が立っているわけです。そういう意味では、「夢」も「酒」も人間の人生を左右する二面性を持っていると言えます。
かつて鴨居(堤真一)は、独立するマッサンに「夢」を追い求めすぎる人間は周囲を不幸にすると厳しく口にしました。それは一面では真理であり、マッサンの危うさをたしなめるためのものであり、あわよくば翻意を願って発したと思っています。
また、三級酒「余市の唄」の試飲会の際に、澤田(オール巨人)が漏らした言も同様です。国産初のウイスキーを造ったことそのものに酔う、という何とも辛辣な表現でしたが、「夢」に喰われて身を持ち崩す典型を語ったように感じました。
そんな酷評を浴びせられながらも、マッサンは「酒」がひとの人生を豊かにするものであり、ウイスキーという異国の文化がいずれ日本人の魂を癒やすときが来ると信じて、自らの意志を貫き通したのです。やがて、さまざまな困難を経て、戦後のもっとも厳しい時代に、マッサンの造る「生命の水」は日本人の魂を慰めることとなります。
生物は優れた遺伝子を後世に伝え、その系譜を延々と伸ばしてゆくこと、言わばそれだけをプログラミングされ、生きることを許されています。優勝劣敗のとてもシンプルな構造で、上記した目的を達するのにもっとも適した方法論かもしれません。人間は、そんな生物の摂理を覆す、地上で唯一の存在と言えます。
考える術を身につけ、道具を用い、コミュニティーを築くことで、単純な弱肉強食の原理を排し、豊かで便利な生活を獲得した反面、社会は複雑化し、これまでは起こりえなかった紛争や犯罪・事件、問題が乱発する世の中となってしまいました。「文化」とは、ややこしくなってしまった人中で、それでも人間が前を向いて生きてゆくために、その魂を、ときに慰め、ときに鼓舞する要素であり、人類が生み出した最上級の知恵だと思っています。
それは第二次世界大戦という最悪の時代を経て、エリーの魂を癒やしたのがラジオを賑わす「唄」であったり、悟のそれを慰めたのが帰国して最初に口にした「酒」であったりしたのと同様、マッサンが目指した「生命の水」とおそらく同義かと。
もともとある国で長い年月をかけて育まれた「文化」を、まったく別の土地に持ってきて定着させようというのですから、尋常な話ではありません。まして、すでに醸造酒の形態が染みついた日本に、アルコール度の高い、味も薫りも個性的な蒸留酒を持ち込み、わずか半世紀足らずで馴染みのものとしてしまったのですから、マッサンの手腕と情熱はやはり破格だったのだと賞讃しか出て来ません。
それを可能としたのは、本場スコットランドで学び、帰国後も地道に鍛練してきた技術はもちろんのこと、自身の「夢」を信じつづける才能がマッサンにはあったからではないでしょうか。
さて、ある意味「周囲を不幸にする」という鴨居の評価どおりのマッサンを、陰に日向に支えつづけたもうひとりの主人公・エリーの存在を疎かにするわけには参りません。マッサンとの出逢い、見知らぬ土地での生活、自身の「夢」を信じる彼を信じつづけた人生。もはやこの場でこと細かく語るべくもありません。
あるいは、エリーという女性自身は、自分が明確にこうなるという「夢」を持つことのできない人物ではなかったかと推察します。その代わりに、祖国で異国の文化を花開かせようと希望に燃える青年、マッサンという人間に惚れ込み、彼の抱く「夢」を実現させたいと心に誓ったはずです。住吉酒造を追われたマッサンに、彼の「夢」を食べて生きる、と励ました振る舞いはそのあらわれではないかと。
そのために、彼女は単に祖国を離れる、というだけでなく、異国での生活という常に変化を求められる過酷な環境に身を置くこととなりました。「郷に入っては郷に従え」と簡単に口にはできても、人間の生存本能として「変化」は相当なストレスを伴う危険行為です。マッサンの実家である広島・竹原、前期生活の中心である大阪・ミナミ、「夢」の実現に求めた終の地である北海道・余市。いずれ日本人でさえその土地の文化や風習に戸惑い、少なからず神経をすり減らすにちがいありません。加えて、頼みの綱とも言える言葉も通じにくい状況では、かかるストレスの度合いがいかほどのものであったか。
劇中をふり返って、エリーが行き場のない感情を表に出したのは、おそらく大阪時代の夫婦ゲンカと、北海道でエマが一馬に特別な感情を抱いた際ぐらいではなかったかと思います(特高警察に対しては、言動こそ激していたものの、冷静な主張ではないかと)。それらを除けば、どんなに理不尽な要求であろうと、エリーはすべて受け容れ、自分なりの解決方法で獲得を果たしました。
まるで地母神のような懐の深さがあればこそ、過酷な環境に耐え、周囲の要求に応え、マッサンというやんちゃくれを支えつづけられたのではないかと思います(その分、太く短くとはなってしまいましたが)。彼女が最後に書いたラブレターはとても慈愛に満ちていて、童心を抱えたマッサンとの関係性を象徴するものであったように。
まったくの余談ですが、この原稿の執筆中にかける音楽をどうしようかと考えていたときです。スコットランドの民謡集などが手もとにあればベストだったもののそれはなく、ではすぐお隣のアイリッシュはどうかと、ザ・チーフタンズやクラナド、あるいはアルタンやメアリー・ブラックと流転した結果、なぜかマイク・オールドフィールドの「遙かなる地球の歌(原題:The Songs of Distant Earth)」にたどり着きました。そのなかでも「光あれ(原題:Let There Be Light)」は、トラッドなメロディーに神秘的なヴォーカルのつぶやき(スキャット)が相まって、エリーの持つ地母神的な慈愛をイメージさせるのにぴったりだと感じました。全体を通しても、「冒険旅行」をしているような壮大な浮遊感を印象づけます。ハイ、まったくの余談です。
ウイスキーという異国の文化を祖国に根づかせるという「夢」を追いつづけた日本人と、彼を信じ、支えつづけたスコットランド人の夫婦の物語は、約半世紀という長い時間をかけて、とても穏やかな結末を迎えました。わたし自身は「物語」という「文化」のおかげで、毎朝とてつもない活力を与えていただいたと感謝しております。また「ウイスキー」という「文化」が改めて好きになり、自分の人生を豊かにするものとして、これからも善い(酔い?)つきあいをしてゆきたいと、心から思いました。
劇中で、冒険旅行の到達点として挙げられていた「夢」とは、ひとつに、「こうしたい」・「こうありたい」という、ひとの成長を促す「欲求」であり、ひとつに、「こうあってほしい」・「こうなればいいのに」という、ひととひとのあいだを繋ぐ「願望」であります。
豊かさや利便性に比例して増す、煩わしさあふれる世相だからこそ、それを渡り歩くには相応のエネルギーが不可欠となるはずです。マッサンやエリーが生きた時代は、ドラマを拝見すればわかるように相当に困難な時代でしたが、いまを生きるわれわれは彼らに匹敵する、いやそれ以上のエネルギーがなければ、善く生きる、活き活きと生きることは難しいのかもしれません。
そして、ひとりでそれを成すのに困難であるのなら、かけがえのないパートナー、かけがえのない友人、かけがえのない家族を得ることです。自分自身に「夢」がないと嘆くのなら、だれかのそれを応援すればよいのです。そうすることで、お互いに力を与え合う関係が築け、艱難を乗り越える原動力となってくれます。ときには「文化」に触れて魂を慰めてもらいながら。
最後に、「マッサン」というドラマの制作に携わったすべての方に、改めて感謝申し上げます。ひとりひとりを取り上げるととてつもない分量になるので、メインの役者おふたりについてのみ記載します。
主人公のひとり、亀山政春を演じられた玉山さん。1年通してマッサンでありつづけることを信じて取り組んだからこそ、辛気臭い・ワキが甘いと揶揄されながらとても好感の持てる、「かいらし」マッサン像ができあがったのだと思います。晩年、白髪の目立つ年代では、長い睫毛にも白が混じって、それでもとてもキュートでした。スコットランド修業時代からエリーの墓標の傍へちょこんと座る姿まで、一貫して「かいらし」。エリーが心底守ってあげたいと思うのも当然です。当分は「マッサンの〜」という枕詞に悩まされることとなるかもしれませんが、俳優・玉山鉄二として、今後のご発展をお祈りします。
ヒロイン・エリーを演じられたシャーロットさん。慣れない異国の地での生活、という点でモデルのリタさんと重なるところがあり、相当に大変な1年だったかと想像します。外国人らしからぬ(?)奥ゆかしさと慎ましさを備えたエリーは、プラスの感情を出す際の振る舞いがとてもチャーミングで、大阪から北海道へ、徐々に年齢を重ねる様子もとても自然に映りました。最終回直前話での臨終のシーンでは、涙を堪えるあまりすべての水分が鼻から流れ出す始末で、そこまでエリーに感情移入していたとは、自分でも驚きでした。実際、この原稿を書いている最中にもたしかな「マッサンロス」に囚われていて、月曜から果たしてどう過ごしたものか、とうれしい悩みを抱えています(笑)。今後日本で活躍される可能性は限りなく低いのでしょうが、場所を問わず役者として最高の舞台を求めつづけていただければと思います。
4月末から5月にかけて、スピンオフ作品の放映が決まっているようですので、また「マッサン」で楽しめる機会があるのはありがたい限り。問題は、当面の「マッサンロス」をどう埋めるか……ですね。